現代建築の装飾について考える際、避けて通れないのがポストモダンの動向である。
ポストモダンは、かつてモダニズムが前近代との断絶を宣言しコンセプトの明確化をはかったことを範とし、
モダニズムとの相対化をはかることで、その存在意義を明確にしようとした。
ヴェンチューリは、著書「ラスベガス」(1972)において、
過剰にモダニズム的であろうとするモダニズム建築は「ダック」そのものであると看破し、
非装飾であることを装うモダニズムの欺瞞を痛烈に批判した。
同時に、ラスベガスのロードサイドにみられる看板建築を、「装飾された小屋」として、
建築的に素直で正しいとして称揚する。
その後もポストモダンは、モダニズムが言及してこなかった装飾や様式を積極的にテーマとし、モダニズムとの差異を宣言し続けた。
しかし、デザイン的な流行の変化、経済状況の激変により、ポストモダンは終息を迎える。
さらに、ポストモダンの過剰なデザインや言説に対す嫌悪感から、建築はモダニズムを髣髴とさせるデザインへと回帰するのだが、
このことで、ポストモダンの失敗感や敗北感は強調されたであろう。
ポストモダン後、装飾をあざやかにモダンデザインに取り込んでみせたのはヘルツォーク&ド・ムーロンであろう。
ヘルツォークらの装飾が巧みであるのは、
装飾の意味や成り立ちについて言説を弄することなく提示することができたこと。「装飾への言説や意味の非付与」
またその装飾が、人間の知覚に対して効果を持っていた、空間の光や影を現象として変化させる装置であったこと。「空間に影響を与える装置」
そして、装飾が建築全体を覆うことによる、建築の装飾化をひきおこしている。「装飾化建築」
これらの点に尽きる。
そして、装飾(化)建築は、これらの点を意識的にか無意識的にか、踏襲しながら様々な建築家によって展開されてゆく。
日本においては、青木淳が名古屋ルイ・ヴィトン(1999)がその嚆矢であろう。
青木は店舗のファサードのみをデザインするというプロジェクトにおいて、
モアレ効果をもたらす、2枚重ねのガラスにプリントした市松模様を実現している。
青木は、計画当時の、ファサードだけをデザインすることに対する逡巡を著書などで語っているが、
現在以上に時代の風潮として、「装飾」に対する忌避感が強かったことに起因する。
また隈研吾は馬頭広重美術館にて、杉のルーバーを建築の壁面と屋根面に用いており、
前述の「装飾への言説や意味の非付与」「空間に影響を与える装置」「装飾化建築」に該当するといえよう。
そして、隈の杉ルーバーは、装飾的に建築に取り付けられているにも関らず、
もはや、それが装飾なのか建築なのか、どのような意味をもっているのか、本質なのかハリボテなのかの議論を必要としないほど、装飾っぽさを消してしまっている。
ヘルツォーク&ド・ムーロン、青木淳、隈研吾らは、近代やポストモダンが扱ってきた「装飾」を自由にしたという点で、それ以降の建築に大きな影響を与えているだろう。
近代建築以降、大きなテーマであった「装飾」は、もはや語るべきことではない程になじんでいる(もしくはクラシカルになってしまった)といえよう。
(多田 正治)